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小説家 ジョージ・A・バーミンガム
小説家ジョージ・A・バーミンガムの生涯と作品
『スペインの黄金』(1908) と、ユーモア小説への転向

1908年、バーミンガムは、もうひとつの歴史政治小説『悪い時代』The Bad Times を出版するが、同年、突然変異のごとく、それまでの深刻な作品とはまったく趣を異にするユーモア小説『スペインの黄金』Spanish Gold を出版し、これがベストセラーとなり、一躍小説家として有名になる。

主人公は、快活で、楽天的で、エネルギーに満ち溢れたJ.J.メルドンで、彼はアイルランド西部の海岸沿いの町でアイルランド国教会副司祭を務めていた。同じ町には、謹厳実直で堅物のケント元イギリス陸軍少佐が住んでいた。現在、彼は土地地主で、「ポーツマス・ロッジ」という豪邸を構えていた。ふたりは正反対の性格だったが、「人間はえてして自分と違う者に惹きつけられる」と言われているように、親友同士の仲だった。ポーツマス・ロッジはもともとジャイルズ・バックリー卿というイギリス人貴族の土地だった。1798年蜂起の時、アイルランドの同盟国であるフランス軍が、この町を含むアイルランド西部のイギリス植民地に攻め込んできた。そしてイギリス海軍大佐であったケントの祖父が、バックリー卿を助けイギリスに逃がした。その返礼にバックリー卿はこの土地をケントの祖父に与え、子孫がそこに住み続けてきた。しかし、バックリー卿の孫が、放蕩の末、無一文になり、ポーツマス・ロッジを売りに出そうとした。ケントはここを手放したくないので、この土地がバックリー卿からケントの祖父に譲り渡されたことを示す土地移譲証明書を必死になって捜していた。そこにメルドンがやって来て、捜すのを手伝っていると、ケントの祖父の日記が見つかった。その中には、ケントの祖父とバックリー卿のアイルランド西部の離れ小島における黄金探しに関する記述があった。その黄金は、16世紀後半にスペインの無敵艦隊がイギリスとの戦いに敗れ、その島に残していったと言われているものだった。そしてメルドンは、彼らの黄金探しは失敗に終わったことを知り、まだ黄金は島に眠っているはずだと主張し、「バカバカしい」と嫌がるケントを説得し、ふたりで黄金探しに出かける。一方、無一文のバックリー卿の孫も、ラングトンという、放蕩がもとでダブリン大学図書館を解雇された男とともに同じ黄金探しに出かける。

最初に黄金の在処を発見したのはメルドンの方だった。トマス・オフラハティ・パットという老人が、彼が黄金を家に隠し持っていることをメルドンに打ち明ける。そこでメルドンは黄金を諦めるが、彼の後を付けて来ていたバックリー卿の孫とラングトンは、メルドンとトマス老人を捕らえて縛り上げ、黄金を盗もうとする。暗闇の中、ラングトンが黄金を袋に詰めている時、メルドンは足を引っかけて彼を倒し、黄金は散乱する。怒ったバックリー卿の孫はメルドンを家の外に放り出す。ふたりが黄金を袋に詰めて外に出てきた時、メルドンは再び彼らに体をぶつけて妨害し、黄金は野原に散乱する。怒り心頭に達したバックリー卿の孫は、メルドンを足蹴にして溝の中に放り込む。そして黄金をかき集め、彼らのヨットで島から逃亡する。それでも怯まぬメルドンは、坂を転がり降り、トマス老人の孫娘メアリー・ケイトの家にたどり着き、彼女にロープを解いてもらい、彼らを追跡する。メルドンに同行したのは、隣の島に住むカトリックのマルクローン神父だった。ついにふたりは彼らを捕らえ、黄金を取り戻す。そして黄金は島民たちの間で均等に配分され、たまたまこの島を訪れていたアイルランド総督がメルドンの活躍に心を打たれ、彼をイギリス・ランカシャー州の炭坑町の司祭に推薦する。メルドンはダブリンに住む恋人と結婚し、任地に赴き、この小説はめでたくハッピーエンドとなる。

この作品には、『煮えたぎる鍋』と『ハイヤシンス』のうちに描かれたカトリック神父及び教会に対する批判はまったく見受けられない。そして黄金を強奪しようとするふたりの悪漢もコミカルに描かれており、いわば荒唐無稽のユーモア小説である。なぜバーミンガムは突然変異のごとくユーモア小説に転向したのか。それは彼のアイルランド・ナショナリズム運動との関わり、そして彼のキリスト教信仰に起因していると思われる。彼はナショナリズムに共鳴し、ゲーリック・リーグを支持したがゆえにプロテスタント・ユニオニストたちから批判された。しかし『煮えたぎる鍋』と『ハイヤシンス』のような小説を書いたがゆえにカトリック・ナショナリストたちから誤解を招き、憎悪され、ゲーリック・リーグ幹部を辞任することになった。そしてナショナリズムとユニオニズムの間で葛藤するようになった。そこで彼はナショナリストとユニオニストの対立をリアルに深刻に描いても、状況は一切好転しないことを悟ったのではないだろうか。バーミンガムはもともとユーモアのセンスの持ち主であった。自叙伝『麗しき土地』のうちには、彼のユーモアのセンスを示すエピソードが描かれている。19世紀末にアイルランドでは年金法が成立し、人々は一定年齢に達すると年金が受け取れるようになった。しかし、アイルランドでは長い間出生届提出の法的義務がなかったために、人々の正確な年齢が分からなかった。そこで年金を申請に来た人々の年齢を特定するための委員会が作られ、バーミンガムもウェストポートの委員会の一員に任命された。しかし多くの人々がでたらめな話をこしらえて、自分の年齢と所得をごまかして年金を受け取ろうとした。それらの話にバーミンガムは腹を立てるのでなく、多くの楽しみを見出した。そして彼は言う。

「イギリス人は所得調査に関して、われわれアイルランド人が見出した半分の楽しみも見出してないと私は思う。イギリス人は腹を立てている様子だが、それは非常に愚かなことだ。役所仕事は決して真面目にやるべきではない。役所仕事はいつもコミカルなもので、冗談交じりで扱うべきだ」

バーミンガムは、ナショナリストとユニオニストの対立もこれに置き換えて、「自分たちの主義主張に固執して対立するのは非常に愚かなことだ。全てのものごとのうちにはコミカルな要素があり、決して真面目に考え過ぎるべきではない。冗談交じりで扱うべきだ」との見解に至ったのではないだろうか。

そしてバーミンガムのユーモア小説の価値を高めたのは、彼の深くて敬虔なキリスト教信仰であった。彼は1888年にデルガニーで副司祭になって以来、1950年に84歳で亡くなるまで人生の大半の時期をキリスト教聖職者として過ごし、キリスト教に関する著作も数多く残した。そのうちの最初の著作である『キリスト教修道院の精神と起源』(1903) のうちで、彼は、「人生が与える獲得と喜びの機会を、正直に、最大限に活用することによってこそ、プロテスタント教徒は神に対する感謝を最高に表現することができる。理想的なプロテスタントのキリスト教徒とは、勇敢で強く、神を恐れ、神以外の何ものも恐れぬ人物のことである」と述べている。また旧約聖書中の預言者に関する伝記『イザヤ』Isaiah (1937) のうちで、神の預言を不屈の信念を持って伝えるイザヤを紹介している。エルサレムがアッシリアから侵略される危機に直面した時、イザヤは人民に、「落ち着け。恐れることはない。動じないことが強いのだ。神のみぞ恐れよ。神以外何も恐れる必要はない」と告げた。バーミンガムは、このイザヤの忠告の背後には、王も人民も持たぬ神に対する絶対的信仰が見て取れると賞賛している。『スペインの黄金』においてふたりの悪漢に怯むことなく黄金を奪い返そうと獅子奮迅するJ.J.メルドンをはじめ、バーミンガムのユーモア小説の主人公たちは、人生が与える獲得と喜びの機会を最大限に活用し、神以外は何も恐れず、勇敢に行動する。

またバーミンガムはイザヤに関して次のような賞賛の言葉も述べている。

「厳格な、妥協を許さないピューリタニズムがある。賢明で、先が見通せ、十分に知識を備え、政治家としての資質がある。完璧な絶望の時にも決して怯まぬ信仰心がある。しかしそれら全ての背後には愛と優しさ、エルサレムとその人民たちに対する愛、そして罪ではなく罪人たちに対する優しさがある」

バーミンガムのユーモア小説の主人公たちは愛と寛容の精神を備え、ナショナリストとユニオニスト、カトリック教徒とプロテスタント教徒、全ての人々の融和の達成のために、たとえどんな絶望の時にあっても怯まぬ信念を持って行動する。そして、J.J.メルドンのふたりの悪漢に対する態度が示すように、決して罪人を憎まない。このキリスト教精神を具現したもうひとつの作品に『ジョン・リーガン将軍』General John Regan (1913) があるが、この作品もアイルランド人の間で誤解を招き、大きな騒動を巻き起こすことになる。

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