Lottie McManus, White Light and Flame: Memories of the Irish Literary Revival and the Anglo-Irish War (Dublin: Talbot, 1929)
著者シャーロット・エリザベス・マクマナス(1850-1941)はアイルランドのナショナリズム運動に積極的に関わり、故郷であるメイヨー州キルティマーにゲーリックリーグ支部の創設を試みた。この本の中で彼女はバーミンガムを初めとする幾人かの著名なアイルランド人文学者たちとの交流を述べている。彼女は、バーミンガムがアイルランドのナショナリズム運動のリーダーはプロテスタントの植民者たちが務めるべきだと主張したが故に、バーミンガムに対しては批判的である。
Stephen Gwynn, Experience of a Literary Man (London: Thornton Butterworth, 1926)
スティーヴン・グイン(1864-1950)はアイルランドの政治家、ジャーナリスト、文学者であった。母方の祖父は1848年の青年アイルランド党蜂起の指導者ウィリアム・スミス・オブライエンであった。バーミンガムはオブライエンを『煮えたぎる鍋』(The Seething Pot, 1905)の主人公ジェラルド・ゲイガンの父親のモデルとして用いている。グインはこの小説におけるバーミンガムのウェストポートの的確な描写を賞賛する一方で、カトリック神父に関する憎悪に満ちた描写を批判し、バーミンガムはどのような反応が返ってくるかを覚悟すべきであったと述べている。グインの恐れは1906年9月にクレアモリスで行われたゲーリックリーグの集会で現実のものとなった。議長のマッケン神父が、翌年のコナハト支部文化祭の実行委員会からバーミンガムを排除する動議を提出した。グインは翌月のゲーリックリーグ幹部会議でマッケン神父を弁護し、その結果、バーミンガムは幹部を辞任することになる。グインはゲーリックリーグの内部では常に争いがあったと述懐している。
Commander C. H. Rolleston, Portrait of an Irishman: A Biographical Sketch of T.W. Rolleston (London: Methuen, 1939)
T.W. ロルストン(1857-1920)はアイルランドの詩人、翻訳家であった。彼の息子によって書かれたこの回想録は、ジョージ・ムーア、W.B. イエイツ、ジョージ・ラッセルそしてバーミンガムを含むアイルランド文芸復興のすべての名だたる作家たちは彼の父親にアドバイスと援助を求めにやってきたと誇らしげに述べている。また著者はバーミンガムと彼の父親がやりとりした手紙を紹介し、『煮えたぎる鍋』(The Seething Pot, 1905)と『ハイヤシンス』(Hyacinth, 1906)に関する彼の父親の好意的な批評が両小説の売り上げにかなり貢献したことに対してバーミンガムがどれほど感謝しているかを述べている。同時にT.W. ロルストンはかなり正直な人物であったようで、バーミンガムがジョージ・ムーアを『煮えたぎる鍋』の中である登場人物のモデルとして用い風刺的に描いていることを強く批判した。
Hilda Martindale, Canon Hannay As I Knew Him (London: Allen & Unwin, 1951)
ヒルダ・マーティンデイル(1875-1952)はイギリス、アイルランドの女性労働者たちの環境改善に一生を捧げた女性公務員であった。彼女はバーミンガムと個人的な知り合いで、この回想録の中でバーミンガムとの友情を振り返っている。 第2次世界大戦中、ロンドンがドイツの爆撃機から空爆を受けている間もバーミンガムは彼の教会で礼拝を続けたエピソードを紹介し、彼の深いキリスト教信仰を賞賛している。彼女はアイルランドでの彼女の仕事で困難に直面した時、彼女はバーミンガムの「私の経験では、本当の絶望を避ける唯一の望みはものごとのコミカルな面を見ようとする断固たる決意です。人間は皆何度も失敗を繰り返すものです。もし失敗から笑いの糧を見出すことができなければ人間はただ落ち込むだけです」という言葉に非常に勇気づけられた。
James Frederick Wynne Hannay, “Unpublished Autobiography” (in the 1970s)
著者ジェイムズ・フレデリック・ウィン・ハネイ(1906--1984)は、バーミンガムの4番目の子供であり末っ子である。ウェストポートで生まれ、家族とともにアイルランド、フランス、ハンガリー、イギリスと移り住み、最終的にはアメリカに移住し、ダラスで綿花売買を扱うビジネスマンとして成功を修めた。日本を始めとする数多くの国々を旅し、それらの国々で体験した出来事からは、著者の冒険心と独立心は父親譲りであったことがうかがえる。この未発表原稿は、孫でダラス在住のジェイムズ・オウエン・ハネイ氏が所有している。
A. Norman Jeffares, Macmillan History of Literature: Anglo-Irish Literature (Dublin: Gill and Macmillan, 1982)
著者ノーマン・ジェファーズのアイルランド文学に関する膨大な読書量には感心させられる。ジェファーズは、『荒野の賢者』(The Wisdom of the Desert , 1904)のような神学書同様に、『スペインの黄金』(Spanish Gold, 1908)、『ララジーの恋人』(Lalage’s Lover, 1911)、『アルスターの赤い手』(The Red Hand of Ulster, 1912)、『ジョン・リーガン将軍』(General John Regan, 1913)、『ウィッティー医師の冒険』 (The Adventures of Dr Whitty, 1913)、『オグラディ医師を呼べ』(Send for Dr O’Grady, 1923)、『女大公』(The Grand Duchess, 1924)、『黄金のリンゴ』(Golden Apple, 1947) 等のバーミンガムの小説を高く評価している。一流のアイルランド文学者によるバーミンガムの作品に対する賛辞は、彼の作品を読みたいという気持ちに読者をさせるだろう。
Roy Foster, Modern Ireland 1600-1972 (London: Allen Lane, 1988)
ナショナリズムの偏狭性を批判し、ユニオニズムの正当性を認めるアイルランド歴史修正論を唱えた 一冊。The Seething Pot (1905)とHyacinth (1906)の出版がもとで、バーミンガムがゲーリックリーグの理事会で糾弾され、幹部役員を辞めたことをナショナリズムの偏狭性の一例として挙げた。このフォスターの主張の正当性を巡って、1990年代、ブライアン・マーフィー とピーター・マリー を中心に論争が巻き起こった。「バーミンガムに関する研究論文・小論」のうちのBrian Murphy とPeter Murrayの項参照。
Judith Flannery, The Story of Delgany: Between the Mountains and the Sea (Delgany: Select Vestry of Delgany Parish, 1990)
バーミンガムは1888年から1892年までウィックロー州デルガニーに副司祭として滞在した。著者は、バーミンガムの自叙伝『麗しき土地』Pleasant Places(1934)のうちから幾つかの文章を引用しこの町におけるバーミンガムの生活を述べている。バーミンガムはこの自叙伝の中でアイルランドの政治に対する彼の関心は司祭としてウェストポートに移り住んだ後に始まったと述べているが、著者は、バーミンガムはデルガニーにいた頃から「ゲーリックリーグ以前のナショナリズム運動に深く関わっていた」と指摘する。著者はまた、クリケットクラブの創設と、司祭館の敷地内の読書室の創設をバーミンガムのこの町に対する貢献として挙げている。
J.F. Quinn, History of Mayo (Ballina: Brendan Quinn, 1993)
この本は5巻から成っており、第2巻の225ページから227ページがバーミンガムに関する記述で、その大部分がステーヴン・グイン(1864-1950)の『ある文学者の経験』Stephen Gywnn, Experiences of a Literary Man(1926)からの引用である。そして著者は、『煮えたぎる鍋』The Seething Pot(1905)と『ハイヤシンス』Hyacinth(1906)の出版の後にバーミンガムがゲーリックリーグ内部で経験したトラブルが彼が有名になるのを手助けしたとみなしている。
Seamus Deane, A Short History of Irish Literature (Notre Dame: University of Notre Dame, 1994)、北山克彦・佐藤亨訳『アイルランド文学小史』(国文社、2011年)
第8章「現代文学1940年から1980年」(“Contemporary literature 1940-80”) 中の226ページから227ページにかけて著者はバーミンガムについて論じており、『アルスターの赤い手』(The Red Hand of Ulster, 1912) を「北アイルランドのロイヤリストの孤立感を最もよく描いた作品」と称賛している。同意見の批評家たちは多く、2012年にはBBCラジオがこの小説に関する特別番組を放送した。
P.J. Kavanagh, Voices in Ireland: A Traveller’s Literary Companion (London: John Murray, 1994)
20世紀初頭のベルファストの社会状況を明示する代表作としてバーミンガムの『アルスターの赤い手』が、ルイス・マックニース、ジョージ・ブキャナン、G.K. チェスタトン、V.S. プリーチェット、フォレスト・レイドらの作品とともに紹介されている。またウェストポートとの関連で『ベネディクト・カヴァナー』(Benedict Kavanagh, 1907)と『ジョン・リーガン将軍』(General John Regan,1913) が紹介されており、著者の示唆に富んだ魅惑的な文章は、読者に、この二つの都市を訪れてみたいという気持ちにさせる。
Brian Taylor, The Life and Writings of James Owen Hannay (George a. Birmingham) 1865-1950) (Lewinston: Edwin Mellen, 1995)
これはバーミンガムに関する初めての評伝である。ダブリン大学トリニティ校古文書研究図書館所蔵の “Papers of J.O. Hannay” をフルに活用し、バーミンガムの私信はもとより雑文や神学書等の彼の著述に言及しながらバーミンガムの小説を論じている。ユーモア小説家バーミンガムと厳粛な聖職者ジェイムズ・オウエン・ハネイを均等にバランス良く論じ、ユーモアと厳粛さは同一の源から発していると強調している。またバーミンガム及び彼の家族のいくつかの貴重な写真を紹介している。
Don L.F. Nilsen, Humor in Irish Literature: A Reference Guide (Westport, USA: Greenwood Press, 1996)
これはアイルランドのユーモア文学作品とそれらの批評書に関する広汎で有益なガイドブックである。バーミンガムの『さてわたしにひとつ話して下さい-アイルランドのウィットとユーモアの話-』Now You Tell Me One: Stories of Wit and Humour(1927)が「アイルランドとアイルランド文学におけるユーモアに関する書誌」”The Humour of Ireland and Irish Literature Bibliography” の項目のうちで取り上げられている。しかし、バーミンガムを含むアングロ・アイリッシュの作家たちによるアイルランド人の性格描写は深みがないという著者の見解は正しくない。
Alan Marshall and Neil Sammells, eds., Irish Encounters: Poetry, Politics and Prose since 1880 (Bath: Sulis, 1998)
49ページから58ページの第6章「最高傑作の小説-ジェイムズ・オウエン・ハネイすなわちジョージ・A・バーミンガムとゲーリックリーグ」(“‘The Very Best Kind of Fiction’: James Owen Hannay, ‘George A. Birmingham’, and the Gaelic League”) の中で、アイリーン・レイリー (Eileen Reilly) は『煮えたぎる釜』(The Seething Pot, 1905)と『ハイヤシンス』(Hyacinth, 1906) の出版が巻き起こした論争について、バーミンガムとダグラス・ハイドの間でやり取りされた手紙の分析を中心に論じている。この二つの小説の重要性を明らかにした価値の高い論考である。
八幡 雅彦『北アイルランド小説の可能性-融和と普遍性の模索-』(溪水社、2003年)
20世紀初頭から現代に至るまでの北アイルランドの7人の小説家について論じている。第Ⅰ章「ジョージ・A・バーミンガムの政治小説とユーモア小説-プロテスタント・ナショナリズム、そして融和の追求へ―」において、 The Seething Pot (1905)、Hyacinth (1906)、The Northern Iron (1907)、General John Regan (1913)、The Adventures of Dr. Whitty (1913) を主に取り上げ、バーミンガムを紹介している。
Joan FitzPatrick Dean, Riot and Great Anger: Stage Censorship in Twentieth-Century Ireland (Madison: University of Wisconsin, 2004)
W.B.イェイツ、ジョン・ミリントン・シング、ショーン・オケイシーらアイルランド作家たちの演劇が巻き起こした騒動に関する研究書。Chapter 5の “The Riot in Westport; or, George A. Birmingham at Home” は、演劇General John Regan の1914年ウェストポート公演が巻き起こした暴動について論述している。
Paul Durcan, The Art of Life(London: The Harvill Press, 2004)
ポール・ダーカン(1944年~ )はアイルランドの代表的詩人である。ダブリンで生まれメイヨー県で育った。この詩集は、ダーカンがメイヨー県、ダブリンをはじめとするアイルランドについて、イタリア、ポーランド、日本をはじめとする外国について書いた詩を集めたものである。メイヨー県について書いた詩のひとつが、“Canon James O. Hannay Pays a Return Visit to the Old Rectory, Westport, County Mayo, 8 October 2000”「2000年10月8日、ジェイムス・オウエン・ハネイ司祭、メイヨー県ウェストポート旧司祭館に再び戻る」である。この詩の中で、ダーカンは、バーミンガムをはじめとするアイルランド国教会聖職者が伝統的に住んでいたこの司祭館がカトリック教徒のシェイマス・ウォルシュによって買われたという事実に嬉しい驚きを述べている。 ダーカンはまた、ウォルシュの熱心な仕事ぶり、家族愛、司祭館の現代的な改造を賞賛している。ダーカンは、司祭館はバーミンガムにとって「麗しき場所」であり、司祭館の21世紀的な自由気ままな神聖さに対する羨望の念でバーミンガムの心は一杯だと最後に述べている。司祭館は、あらゆる人間同士の融和に対するバーミンガムの願いを具現しているように思える。
Frank Ferguson, ed., Ulster-Scots Writing: An Anthology (Dublin: Four Courts Press, 2008)
このアンソロジーは、スコットランド系アルスター人について書いた91人の作家の著作の抜粋集である。そのうちのひとつがバーミンガムの自叙伝『麗しき土地』(Pleasant Places, 1934)からの抜粋で、彼のベルファストの子供時代を述べた一節である。この中でバーミンガムは、ブッシュミルズ郊外のバリロックハウスに住んでいたスコットランド出身の祖父を訪れた時のことを述懐し、この祖父と父親がバーミンガムの性格形成に及ぼした役割について記している。スコットランド系アルスター人の著述に対する関心を高める優れたアンソロジーである。
John Wilson Foster, Irish Novels 1890-1940: New Bearings in Culture and Fiction (New York: Oxford University Press, 2008)
この研究書の中でフォスターは、1890年から1940年まで出版されたいわゆる莫大な数の「大衆小説」について論じている。それらの多くは今日ほとんど読まれることがないが、フォスターはそれらの価値を論考し、それらはアイルランド文化の、知られざる、興味深い側面を照らし出していると強調する。それらの小説のうちのひとつがバーミンガムの Gossamer (1915) である。フォスターは、バーミンガムは喜劇小説家という幅広い評判だが、この小説は「思考する小説家」としてのバーミンガムの可能性を証明していると指摘する。フォスターは洞察力に富んだ見解を述べ、この小説は1930年代のウォール街の崩壊と「現代の多様なアイルランド」を予言していると示唆する。Gossamer に関するフォスターの広範な議論はこの小説に対して他の批評家たちの関心を惹きつけ、テリー・フィリップスが研究書Irish Literature and the First World War: Culture, Identity and Memory (2015) の中でこの小説を取り上げ、八幡雅彦が論文 “Humor in Despair: George A. Birmingham’s Works of Fiction and Nonfiction on the First World War” (2018) の中でこの小説を論じた。
川成洋 他・編『イギリス文化事典』(東京:丸善出版、2014年)
イギリスの社会、文学、芸術、教育、王室、歴史、日英関係等、イギリス全般にわたって250人に及ぶ専門家が記述している。最後の章である「15. 北アイルランド」の中の「北アイルランドの小説①-紛争下の市民」(八幡雅彦)の中でバーミンガムが扱われている。『煮えたぎる釜』(1905) と 『ハイヤシンス』(1906)は何が善で何が悪かを問い詰めた作品、『スペインの黄金』(1908)、『ジョン・リーガン将軍』(1913)、『ウィッティー医師の冒険』(1913)、『国境を越えて』(1942)、『善意』(1945)等は「人間同士の融和のためにはユーモアが不可欠」という普遍的真理を示しており、聖職者として生涯をまっとうしたバーミンガムの深いキリスト教信仰から生み出された作品であることが紹介されている。
Terry Phillips, Irish Literature and the First World War: Culture, Identity and Memory (Bern: Peter Lang, 2015)
この研究書の第2章「国家を論じる」の中で、フィリップスは、パトリック・マックギル、セイント・ジョン・アービンの小説とともにバーミンガムの Gossamer を論じている。フィリップスは、ジョン・ウィルソン・フォスターのIrish Novels 1890-1940: New Bearings in Culture and Fiction (2008) の中でのこの小説の論考に触発され、違う観点から論じようとした可能性が多分にある。フィリップスは、この小説の語り手ジェイムズ・ディグビーの第一次世界大戦に対する皮肉な態度を考察することにより、フォスター同様、この小説の普遍的な視野を強調している。アイルランド、イギリス両国から疎外感を覚え、ディグビーは、愛国主義からではなく、ドイツは戦争に負けなくてはならないという信念からイギリス陸軍に志願する。フィリップスの正しい指摘通り、ディグビーは、ドイツの勝利は世界の芸術、政治、金融を阻害するとみなす。しかし、フィリップスも、当時の多くの読者も、Gossamer を戦争支持小説と決めつけることにより、バーミンガムの底に潜むドイツへの共感を見落としている。
Masahiko Yahata, “Christian Virtues in Humour: A Reassessment of George A. Birmingham, General John Regan (1913)”、『別府大学短期大学部紀要』第26号、2007年、pp.73-82.
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006427362
Masahiko Yahata, “George A. Birmingham, Spanish Gold (1908) and A Sea Battle (1948): What the Adventures of J.J. Meldon and Major Kent Mean”、 『別府大学短期大学部紀要』第27号、2008年、 pp.29-36.
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007043851
Gerard Dineen, “Literary Exhortations: The Early Fiction of George A. Birmingham”, a thesis submitted to the School of English at Trinity College, University of Dublin, in fulfillment of the requirements for the degree of Doctor of Philosophy, 2010.