バーミンガムのデビュー作『煮えたぎる鍋』The Seething Pot (1905) の主人公ジェラルド・ゲイガンの父親は、イギリス人を祖先とするプロテスタント教徒で、アイルランド西部の架空の町クロハー(ウェストポートがモデル)に広大な土地を持つ地主であった。イギリスに祖先を持ちながらもアイルランドの独立を主張する彼は、1848年の青年アイルランド党革命の折に、地元の少数のカトリック農民を率いて独立蜂起を起こしたが失敗に終わり、オーストラリアに流刑となった。ここで生まれたのが主人公のジェラルドで、彼は父親の遺志を継ぎ、アイルランドにやって来て、父親の土地を相続して、アイルランドの独立のために生涯を尽くすことを誓う。
ジェラルドがクロハーで出会ったのはカトリックのファーヒー神父だった。5世紀半ばにセント・パトリックがアイルランドにキリスト教を布教して以来、アイルランドは敬虔なカトリック国になったが、プロテスタント国家であるイギリスの植民地支配下に置かれるようになってから、カトリック教徒たちは迫害を受けた。しかし19世紀前半のカトリック解放令によって信仰の自由を回復して以来、カトリック教会が一般人民に対して絶大な権力をふるうようになった。ファーヒー神父もまたクロハーでは住民は誰も逆らえない絶大な権力を持つ神父だった。彼はジェラルドに、彼の土地を、地元の貧しい農民たちに相場よりもずっと安い借地料で貸し与えるよう強要する。しかしジェラルドは、それがあまりにも不当な要求であることを悟り、拒絶する。彼に拒絶のアドバイスを与えたのは、ナショナリスト党党首のジョン・オニールだった。彼も、ジェラルド同様、イギリスに祖先を持つプロテスタント教徒で、アイルランドの独立のために尽力していた。オニールはジェラルドに、彼の政党に加入して国会議員選挙に立候補して欲しいと依頼し、ジェラルドは了承する。しかしふたりが選挙演説のために隣り町に向かっている時、警官隊が彼らの行く手を阻む。オニールは、この妨害は、イギリス政府と、イギリス政府から賄賂を受け取って人民を抑えつけている神父たちの仕業に違いないと断じ、バリケードを突破しようとする。しかし失敗に終わり、彼は病死し、ジェラルドはアイルランド独立運動から身を引く。この作品の中で、バーミンガムはカトリック神父を激しく糾弾して次のように述べる。
「アイルランドの神父たちは悪巧みをし、嘘をつき、極貧の人々を脅し、いじめ、途方もない税金を課してきた。しかし彼らは、アイルランド人の一生に関わり、本質的にはキリスト教の精神からはさほどかけ離れていない宗教をアイルランド人に教えてきた。そのような宗教は、言葉だけでは教えられないはずだ。そのような宗教を授ける人物は、まず自らがそれを悟り、自らの心のうちに持たなければならない。ところが、そうでないのがアイルランド社会の最も不思議な謎だ。アイルランドを理解しようと努める人々のうち一部は、カトリック神父と彼らの行いを見る。そして彼らはアイルランドを呪い、アイルランドに絶望するか、あるいはアイルランド人がいつの日かカトリック教徒でなくなることだけを願う」
そして、ファーヒー神父に命じられてジェラルドの選挙運動を阻止した警官のうちのひとりが、ジェラルドに同情混じりに、「神父たちはあなたに絶対集会を開かせはしませんよ。私は、40年間でアイルランドの南も西も知り尽くしました。断言しますが、神父たちと戦っても無駄です。戦いを挑んだ者はすべて敗れて、屈服しています」と語る。
この小説を読んだウェストポートに住むカトリック神父が、自分がファーヒー神父のモデルだと誤解し、カトリック住民たちを扇動し、彼らはバーミンガムの肖像画を焼き払い、バーミンガムが住む司祭館にやって来てブーイングを飛ばした。しかし、実際には、バーミンガムはこの神父と知り合いになる前にこの小説の原稿を書き上げていたという。そして多くの読者は、この小説はアイルランドのナショナリズム、独立運動を否定したものであると解釈したが、注意深く読めばそうでないことが分かる。独立運動に挫折したジェラルドは、親友で、新聞編集者のデズモンド・オハラに彼の苦悩を書き送る。それに対する答えとして、オハラは、アイルランドを「煮えたぎる鍋」にたとえて、独立運動を続けてゆくことの必要性を、比喩を用いて次のように述べる。
「その時、悪臭を放って外に溢れ出すのは浮きカスで、多分、君はそれで手足をやけどすることになるだろう。しかし、その鍋の中には栄養たっぷりなものが含まれているのだ。それは大人に成長するための子どもたちの夕食かもしれない。人間を強くするための食べ物かもしれない・・・よどんだ水たまりのそばよりも、煮えたぎる鍋のそばにいる方がずっとましだ。親愛なるジェラルド、できればこの鍋を煮えたぎらせ続けようではないか。この、われらが愛するアイルランドのために、人々を思想と野望の行動に駆り立てるべく、われわれのささやかな役目を果たそうではないか。われわれの足のつま先がやけどしても、手の指が汚れても、勇敢に耐えようではないか。不快な匂いがするとしても、鍋の中にはおいしい食べ物があるということを忘れないでいようではないか」
これはまさにバーミンガムの当時の信念と苦悩、すなわちアイルランド独立運動を続けて行くことの重要性と、その運動の前に立ちはだかる幾多の困難を、隠喩を用いて表現している。
バーミンガムが切望していたのは、ジェラルドやオニールやオハラのような、イギリスに祖先を持つプロテスタント上流階級の導きによってアイルランドの独立が達成されることであった。通常、アイルランド人が祖先=カトリック=ナショナリスト、イギリス人が祖先=プロテスタント=ユニオニストとみなされるが、当時のアイルランドには、イギリスに祖先を持つプロテスタントでありながら、アイルランドの独立のために尽力したナショナリストが数多くいた。バーミンガムしかり、ダグラス・ハイドしかり、チャールズ・スチュワート・パーネル Charles Stewart Parnell (1846-1891)しかりであった。パーネルはイギリスに祖先を持つプロテスタントの土地地主の家庭出身で、19世紀後半、アイルランド議会党の党首としてアイルランドの独立運動を推し進めたが、挫折して失意のうちに亡くなった。オニールのうちにパーネルの姿が投影されている。
バーミンガムの次作『ハイヤシンス』Hyacinth (1905) もまたアイルランドのカトリック、ナショナリストたちから誤解を招くこととなった。ハイヤシンスはこの小説の主人公の名前である。
19世紀の半ば、アイルランドのカトリック教徒たちをプロテスタントに改宗させようというイギリス政府による運動があった。アイルランド西部に住むハイヤシンスの父親はこの運動によってプロテスタントに改宗し、聖職者として宣教運動に身を捧げた。しかし彼の努力は実を結ばず挫折し、その罪滅ぼしにと、息子に、この改宗運動のパイオニアであったハイヤシンスという人物の名を取って付けた。ハイヤシンスは、プロテスタントの聖職者を目指して、彼の父親も学んだダブリン大学トリニティ校神学部に入学する。ハイヤシンスは、アイルランドを支配するイギリス人のことを、「アイルランドの土を踏みにじった新たな外国人」と見なして憎悪した。ダブリン大学入学後、ハイヤシンスは学生たちの祈祷集会に招かれるが、彼はそこでイギリスを支持するプロテスタント・ユニオニストの学生たちの帝国主義思想に接し、驚愕する。ひとりのユニオニスト聖職者が、イギリスを、文明の開拓国、プロテスタント宣教活動育ての国であると賞賛し、ボーア戦争で戦うイギリス軍と、イギリスによるボーア植民地支配を正当化する演説を行う。この演説はハイヤシンスを当惑させた。なぜなら彼は、ボーア人も、アイルランド人同様に、イギリスから過酷な仕打ちを受け続けてきたと見なし、彼らに同情を寄せていたからである。ハイヤシンスは、この祈祷集会の幹事に、自分はボーア戦争におけるイギリスの勝利を望まないので、集会には二度と参加しないと告げる。他の学生たちは、ハイヤシンスのアイルランド・ナショナリズムに対する共感を知った後、彼との交際を避け、彼が住む学生寮の近くで、聞こえよがしに彼を誹謗する歌を歌う。ある時、イギリス政府から派遣されたアイルランド総督がダブリン大学を訪れた。他の学生は帽子を脱いで敬礼をしたが、ハイヤシンスはそれを拒絶したために、一部の学生たちから殴り倒される。この事件を機に、ハイヤシンスは大学から足が遠ざかり、ナショナリズム運動へと傾倒してゆく。
ハイヤシンスは、オーガスタ・グールドという戦闘的女性が指揮するナショナリズム地下秘密組織に加わる。彼女のモデルは、実在したアイルランド独立運動の女性闘士モード・ゴン (Maud Gonne, 1865-1953) である。しかし、ハイヤシンスとこのナショナリスト地下組織の関わりは、彼のナショナリズムに対する幻滅を引き起こす発端となり、最終的には彼はアイルランドを去ることになる。
フィオナは、ボーア戦争でイギリス軍と戦う志願兵を募っていた。彼女の真の望みは、ボー人を助けるということではなく、「イギリス人を傷つける」ということであった。ハイヤシンスも志願するが、フィオナは彼を拒絶する。理由は、戦争で戦うためには「ごろつき」でなくてはならず、彼のように、高邁な理想だけを口にする「日曜学校の教師」のようなひ弱な人物は何の役にも立たないからということであった。
その後、ハイヤシンスは別の形でアイルランドのナショナリズムに貢献しようと決意し、フィオナの地下組織からボーア戦争に出向くひとりの兵士の兄が経営する毛織物工場に就職する。彼はここで生産された国内産毛織物を販売業者に卸売りすることにより、アイルランドの産業振興に役立ちたいと考えた。しかし彼のナショナリズム思想は、ふたりの偽善的販売業者との出会いによりふたたび挫かれる。「アイリッシュ・ハウス」の店主オレイリーは、「国産品を買おう。イギリスを呪いながら、なぜイギリス製品を買うのか」と、愛国心をあおり立てる広告を出している。そこでハイヤシンスが彼の店にセールスに出向いたところ、明らかにイギリス産と分かる製品を安く仕入れ、アイルランド産と偽って販売していることを発見する。もうひとりの販売業者ダウリングも、ゲーリック・リーグの集会で愛国心に満ちた演説を行い、スコットランドの女性を雇っている彼の同業者を非難しておきながら、彼自身の店には明らかにイギリス産と分かる製品が置かれていた。彼は、ハイヤシンスを「汚らわしいプロテスタント」と罵り、「政治とビジネスは別物」と言ってはばからなかった。
ハイヤシンスのナショナリズム思想にもうひとつの大きな打撃を与えたのは、カトリック修道院が政府からの補助金を得て経営している毛織物工場の労働者搾取の実態だった。ハイヤシンスの工場は適正賃金で従業員を雇っている一方、この工場は政府から補助金を得ているにもかかわらず、最低の賃金しか支払っておらず、従業員の女性のうちには辞めてアメリカへ移住する者もいた。そのためにこの工場は製品を安価に卸売りすることができ、ハイヤシンスの勤める工場は倒産に追い込まれるのだった。
そしてハイヤシンスのナショナリズム思想に決定的な打撃を与えたのは、彼の恋人マリオンの父親であるプロテスタント聖職者ビーチャー司祭の言葉だった。ハイヤシンスはマリオンとの結婚の承諾を得るために司祭のもとを訪れた時、アイルランドに関して司祭は彼とはまったく異なる見解を持っていることを悟る。ハイヤシンスにとって、彼のナショナリズム思想を突き動かしているのは、「イギリスと、そして全てのイギリス的なものに対する憎悪」だった。しかし司祭は「憎しみを心の糧としながら、同時に神に対して忠実であろうとすることは不可能だ」とハイヤシンスを諭す。さらにはハイヤシンスの父親が彼に最後に残した「おまえは善と悪の区別、指揮官と敵の区別ができるようになる自信はあるか」という問いかけが彼の頭の中に蘇る。ナショナリスト思想がぐらつきかけていたハイヤシンスは、司祭と父親の言葉が胸に突き刺さり、ナショナリズム運動に加担することを諦め、アイルランドを去り、イギリスでプロテスタント聖職者として働くことを決意する。
この作品でバーミンガムはユニオニスト、ナショナリスト両方の偽善を批判し、アイルランド独立運動の前に立ちはだかる困難を改めて呈示した。バーミンガムがアイルランドの独立を支持していたことは、1912年、アイルランド国教会の総会でただひとり自治法成立を支持する見解を表明したという事実からも明らかである。しかしアイルランドの読者たちは、『煮えたぎる鍋』と『ハイヤシンス』はアイルランドのカトリックとナショナリストを冒涜したと解釈した。ウェストポートの地元新聞『メイヨー・ニュース』の1906年5月19日号には、バーミンガムに対して謝罪を要求するカトリック神父たちの声明文が掲載された。同じ年の9月27日、メイヨー州クレアモリスで行われたゲーリック・リーグの幹部役員会にはバーミンガムを含めて22名が出席した。ここで司会を務めたカトリック神父が、バーミンガムのふたつの小説は「カトリック教徒とアイルランド人の崇高な感情と大志を踏みにじり痛めつけた」と見解を表明した。
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